丸ちゃんに教わった戸川純「蛹化の女」など
私には、絶対忘れられないことがある。
中学校の時に、戸川純を教えてもらったことだ。
私は、ほとんどテレビを見ない子供だったために、芸能界の事はまるで無知だった。
だから、教わった時も本物の戸川純のことなど全然知らなかった。(といっても、戸川純はテレビにそんなに出てなかったのではないかと思うが)
しかし、そのときクラスメートの男の子に教わって、一度で丸暗記してしまったのである。この男の子を以下丸ちゃんと呼ぶことにする。
中学2年生の時だったのではないかと記憶している。
クラスでカラオケ大会をすることになった。丸ちゃん以外は、だいたい自慢の一曲を家で練習して来て、カセットテープを持ってきて、自分の順番になったら、テープをかけて、懸命に歌うのであった。
丸ちゃんの準備は、周到さにおいて他を寄せ付けなかった。
まず、丸ちゃんは黒いランドセルを持ってきていた。それに、大きな大きな昔トンボくらいのトンボの羽をダンボールで作って装着していた。制服が学生服だったが、丸ちゃんをみると、まるでコスプレにも見えなくはなかった。
丸ちゃんは声が高かった。そして、たいへんな美男だった。
丸ちゃんの番になった。クラス全員が目を見張った。ランドセルとトンボの羽を付けた丸ちゃんは、戸川純を続けて三曲歌った。記憶に間違いがなければ、「蛹化の女」と「玉姫様」、「隣の印度人」の三曲だった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm900058

「蛹化の女」は、有名な曲なので、今更私がここに解説するまでもないのであるが、Pachelbelのカノンをカバーしたものだ。
私はこの曲を歌う丸ちゃんに圧倒された。こんなにも、インパクトの強い出し物があるだろうかと。白い月光が差し込む中で、一人の頭がおかしくなった美少女が、男を思いながら変態するのである。
藤原定家の歌に、「さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫」(新古今和歌集)というのがある。
降り注ぐ月光を、スポットライトを浴びているかのような橋姫が、一心に、ひたすらに、待っているという歌である。もはや、男を待っているのか何を待っているのか、待つ対象は度外視されている。そして、永久の時間の中を超然と橋姫がただ「待っている」のである。
曲の全体にこの歌を重ね合わせ、興奮して私は家に帰って、家族を相手に再演した。完全に暗記していた。
戸川純の孫コピーであるにもかかわらず、詩のエッセンスは決して力衰えるものではなかった。
丸ちゃんは戸川純を崇拝していた。と思う。
四つ切の画用紙に、何か周りのものを写生して絵を描きなさいと美術の時間に言われたら、丸ちゃんは画面いっぱい黒い背景の上に赤い長髪の戸川純の顔を描いていた。
またステージで丸ちゃんが戸川純をやっていたような思い出も何となくある。
後日、何年も何十年もたってから、私は動画で戸川純を見た。
その時初めて、丸ちゃんのコピーが、おそろしく精密で完成度が高かったのだということが分かった。玉姫様などの振り付けは、本人のようであった。普段の丸ちゃんの練習の量が伺われる。
丸ちゃんは、一言の説明もなく、ただ、実行して実演した。そしてすべてを言い尽くしていたのである。
丸ちゃんは文化委員長をしていたこともある。丸ちゃんの書いた文化祭に寄せての文化委員長としての作文を記憶している。細かな表現は忘れてしまったけれども「最近、若者の間では、頑張ったり、情熱をかたぶけるなんていう表現で表すべきことを、ややニヒルな態度で敬遠するような兆候があるようにおもう。でも、私たちは、とても若い。若者である。私たちは、何かに必死になったり、熱意を持たなくてはならない。それは恥ずかしい事ではない。文化祭も、どうかみんな、いろんなことを、情熱的に頑張ってみたらいいのではないかと思う」、そんな趣旨であった。
そんな集合作文のプリントなど、ほとんど誰も目にとめるようなものではなかった。しかしそこには、普段言葉の多くない丸ちゃんの「考え」というものが簡潔に述べられていた。普段言葉が少ないだけに、その作文は印象的であった。そして作文の内容は丸ちゃん自身の姿への言及でもあった。丸ちゃんは、自分自身も極めて客観的に見つめていた。自分のコスプレなんか、(コスプレという言葉もそんな一般的なものではなかった時代である)一見人が見たら、変なんじゃないかと思うかもしれないなんて、そんなくだらないことを気にしていなかった。それは戸川純もそうであるし、また、戸川純を尊敬していた丸ちゃんもであった。
私は「蛹化の女」を戸川純と一緒になって歌う時、無心になれる。歌い続けて、そのときはどんな苦労にも耐えられるような気持がしてくるのである。
それほど、この曲とまるで始めからこのために作られたかのような、あまりにも一体化した美しい詩は、何度聞いても新鮮に心に響き、色あせることが無い。
そして、戸川純は私の最も尊敬する人物の一人になった。とても頭が良くて、表現するべき熱い何かが、常に彼女の中にあふれている。その恐るべきその才能の前に、人々は自分がやろうとしてできない何かを感じ、日常を忘れ、正直に自分の中にあるものに従うというアーティストの使命と存在意義を知る。まるで映画の「プリシラ」を見たときのように、いつか私もこんなに自分に正直に生きられたらと夢を見る。また、そんな戸川純を私に教えてくれた丸ちゃんに、いまも変わらぬ感謝と尊敬を抱いている。
20140302
戸川純 「蛹化の女」歌詞
月光の白き林で
木の根掘れば蝉の蛹のいくつも出てきし
ああ
それはあなたを思い過ぎて変わり果てた私の姿
月光も凍てつく森で
樹液すする私は虫の女
<音楽>
月光の白き林で
木の根掘れば蝉の蛹のいくつも出てきし
ああ
それはあなたを思い過ぎて変わり果てた私の姿
<音楽>
いつのまにかあなたが
わたしに気づくころ
飴色のはらもつ
虫と化した娘は
不思議な草に寄生されて
飴色の背中に悲しみの茎がのびる
<音楽>
月光の白き林で
木の根掘れば蝉の蛹のいくつも出てきし
ああ
それはあなたを思い過ぎて変わり果てた私の姿
月光も凍てつく森で
樹液すする私は虫の女
<音楽>
※ちなみに、蝉は若虫で途中蛹にはならないけど。そういう問題ではない。