トップ寝言>「平成」について


 「平成」という年号は、「国の内外にも、天地にも平和が達成される」と解釈されるらしい。これを碩儒戸川芳郎氏は、「牽強な読みであって、ものを知らなすぎる」と評する(なお、朱子学では「地平天成」の「天」を「もの」と訓ずる)

 この年号の、第一の出典は『尚書』虞書大禹謨篇、古の帝王舜が臣下である禹(後に帝位を譲られる人物)の功績を称えた言葉、「地平天成」である。しかし、この部分には、読み方はもちろん、そもそも本文の成立自体にも議論がある。
 第二の出典は『史記』五帝本紀、舜が八人の名臣を登用することにより、人々に教化が行き渡り、「内平外成」となったという語である。これもやはり「平」「成」両字とも動詞であり、「平」を「平和」と読むことはできないだろう。

 これらについて、戸川氏が詳細な論考「元号平成考」をなしている(『二松』第十一号、1996年3月、pp.330-375。リンク先はCiNiiにアップロードされているファイルのコピー)。しかし、46ページに亘る大作であり、また氏の文章はそもそも読みにくい。氏は、折に触れて「せっかくこれだけ指摘したのに、みんな『平成』や元号について、あまり議論しないんですよ」と言うけれど、読みにくさがその一因となっているのかもしれない。
 そこで、以下、少し説明を補いつつ、要点をまとめて示そう。



 『春秋左氏伝』を調べると、「平」「成」ともに「たいらぐ」(講和を結ぶ)の意で用いられることが多く見られ、また、漢代以降では「平 - 成」を通じさせた訓詁が見られる。(pp.344-349)。漢語の通例として、一字では多義語であるが、同じ意味を含む字を並べれば、意味は一つに限定される。従って、「平成」「○平□成」といった場合、両字の意味は「たいらぐ」に限定されると考えられよう。
 「内平外成」については、政府によって示された『史記』と、全体的にほぼ同様の文が『春秋左氏伝』文公十八年の記事に見える。ただし、細かい語法を研究するに、戦国中期あたりに付加された説話と考えられる。これについての解釈は、「中華が統治され、夷狄が服従する」「家が治まり、国が治まる」といった諸説がある。「内平外成」という四字句自体は、この他にもいくつか見られるが、それぞれ文脈は異なり、『史記』『左氏伝』の内容とどのような連関があるかは不明(pp.349-351)
 「地平天成」という字句の見える『尚書』虞書大禹謨篇は、そもそも東晋時代に偽作された偽書である可能性が極めて高い。しかし、「地平天成」の句自体は『左氏伝』の引く『尚書』夏書に見え、漢代の用例を考察すると、「(土木事業をうまく行って)天地を調和させる」といった意味がこめられている。また、偽書である現行『尚書』大禹謨篇に付けられた注釈でも、「水土がたいらぎ、五行の序列も叙(つい)でるようになった、つまり宇宙自然の順序、世界の秩序をとり戻した」と説明される(pp.352-356)。つまり、「地平天成」を「地平(たいら)ぎ、天成(たいら)ぐ」と読むのが伝統的解釈なのである。
 ところが、宋人は、唐代以前の儒学のあり方を大きく変革し、経典の読み方も大きく変更した。蔡沈(朱子の弟子)による注釈では、『尚書』大禹謨篇の「地平天成」を「地(みず)平(おさ)まりて、天(もの)成(な)る」とされた。これは、「平」「成」ともに「たいらぐ」の意を含むという語構成を無視した読みであり、換骨奪胎であった(p.357)。つまり、政府発表の「地平天成(地平かに天成る)」はこれに基づいた訓読であり、「内平外成(内平かに外成る)」もそれに引きずられているのである。



 末尾に朝日新聞が紹介され、戸川氏の「なごやか元年」「しあわせ元年」といった案が挙げられている。確かに、天皇即位礼も中国式ではなく和式となった今、元号を漢字にする必要はどこにあるだろうか。右翼も、国粋を尊ぶのなら、何故、ひらがな元号を主張せずに、「天皇陛下万歳」などという漢語まみれの言葉を叫ぶのか(和語にすると、「おおいなるすめらぎよ、とわに」くらいであろうか)。少なくとも、「peaceful success」などという誤解を蔓延させるよりも、「平 - 成」という句作りを誤読するよりも、良いだろう。

しあわせ二十四年四月三日

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