【原文】
 平澤歩、字止少、武藏府中人也。昭和五十九年龍集甲子孟夏、生於越後小千谷。性好奇異、少習史書。十有五而志于漢學、二十而惑。從心所欲入東大、後師事丘山新。不是先人、不法禮儀、博而少要、勞而寡功。時人稱之曰、「有爲而無有爲矣。」


【訓読】
 平澤歩、字は止少、武藏府中の人なり。昭和五十九年龍集甲子孟夏、越後小千谷に生まる。性、奇異を好み、少くして史書を習ふ。十有五にして漢學に志し、二十にして惑ふ。心の欲する所に從ひて東大に入り、後、丘山新に師事す。先人を是とせず、禮儀に法らず、博くして要少なく、勞して功寡なし。時人、之を稱して曰く、「有爲にして爲す有る無し」と。


【口語訳】
 平澤歩、字は止少、武蔵府中の人である[1]。昭和五十九年甲子の初夏、越後小千谷にて出生した[2]。変なことを好む性分で、幼い頃から歴史書を読んでいた。十五歳の時に漢学を志し、二十歳になって迷いを生じ、思うに任せてアヅマ大に入学し、後に丘山新に師事するようになった。その人柄たるや、先人の教えに異を唱え、礼儀作法を守らず、色々な分野に手を着けるのだが肝心なことは欠けており、努力はするのだが実りは少ない。同時代の人々は彼について、「行動しているのに、何も成し遂げることがない」と評する[3]