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[1]今の東京都府中市。以前、北京に行った時、本屋の店員に住所を書いて見せたところ、「ああ、東京都府というのは、京都府の東に在るんだろ。で、中市ってのは、その真ん中だな」と言われたが、「府中市」である。間違えてはならない。なお、歴史は京都よりも古い。
[2]今の新潟県小千谷市。父母は川口町の人だが、町内に病院が無かったため、小千谷病院にて出産。
[3]『老子』第四十八章「無爲而無不爲。(無為にして為さざる無し。)
[4]『説文解字』巻十二下「“我”、施身自謂也。或説、“我”、頃頓也。从"戈"从""。""、或説、古"垂"字。一曰、古"殺"字。(“我”とは、自身に行い、自らを言うことである。一説には、“我”とは傾くことである、という。字形は“戈”と“”から構成される。“”とは、“垂”の古字ともいうし、また“殺”の古字ともいう。)
[5]『荘子』斉物論篇:「昔者莊周夢爲胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與。不知周也。俄然覺、則??然周也。不知周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。(昔、荘周が夢にて蝶となった。蝶々としてのありさまを楽しみ、意を得て喜んだ。この時、自分が荘周であることは考えなかった。しかし、ふと目が醒めると、自分は間違いなく荘周であった。いったい、荘周が夢に胡蝶となったのか、それとも、胡蝶が夢に荘周となったのか。)
[6]これを「エゴサーチ(egosearching)」と云う。
[7]釈月性「將東遊題壁」「男兒立志出郷關、學若無成不復還。埋骨何期墳墓地、人間到處有青山。(男児 志を立てて郷関を出づ、学もし成らずんば復た還らず。骨を埋むること何ぞ墳墓の地を期せん、人間到る処に青山有り。)」なお、HotDictionaryで「人間到るところに青山あり」を調べると、まるで青山が「左の曲がるところ」にも「あの角のところ」にも「10の交差点を通るところ」にも「その道の曲がるところ」にもあるかのような例文の並びになっている(画像)。
[8]2010年3月、川口町は長岡市と飛び地合併し、現在は長岡市の一部となっている。
[9]オルガンが非常に上手く、かつ楽器の構造にも詳しい先輩。2007年よりJAXAで勤務している。このサイトによく登場する「河村商会」の社長とは別人。
[10] Kと同じく、物心付いた時からの友人。現在、大森に愛の巣を構え、歌と料理が上手なお嫁さんと住んでいる。
[11]ストップとは、オルガンの音色を操作する装置。これを引いたり押したりすることで、パイプの下を塞いでいる板・弁を動かし、どの音色・音高のパイプ群を演奏に使用するかを選択することができる。レジスター(Register)とも云う。
[12]「おみや-いり【御宮入り】 犯罪事件で、犯人が判明せず未解決のままになること。迷宮入り。」(『広辞苑』第五版)
[13]空港自体が軒並み赤字であるのに対し、空港ビル管理会社は経営独占で暴利を得ているとして、近年問題視されている。要するに、空港ビル管理会社に課す賃料を大幅値上げしたい、という話である(現在、空港の経営は、航空機に課す着陸料と旅客に課す空港使用料の他に、国庫からの補助金で成り立っている)。
[14]そういえば、「首都大学東京」なる大学があるが、あれは何か別の言語を訳したのだろうか。首都機能移転断固反対の立場を表明するのは結構だが、「クビ大」と略されるのはいと哀れ。何より、履歴書をどう書くのかが気になる。「首都大学東京都市教養学部」「首都大学東京都市環境学部」などと書こうものなら、「首都大学」の「東京都市教養学部」「東京都市環境学部」にしか見えない。
[15]資金が十分に集まった暁には、「酒税法改正」を旗印に「ビール党」を立ち上げ、国政に打って出る予定である。その際、有権者の皆様には是非、比例代表では「ビール党」もしくはその略称「ビール」と書いて投票して頂きたい。
[16]今後、紛失や焼失によって書籍自体が失われた後に、CDやサーバー内に保存しておいた画像データのみが残るようなケースが増えるかもしれない。その際、こういった原本の無い画像データをどのように扱うべきかが問題となるだろう。すなわち、『百足般若経』はその先駆的な事例なのである。
[17]お笑いコンビのラーメンズの作品「日本語学校アメリカン」の中で、度々「タナカカクエイ」という言葉が用いられている。第8回公演「椿」(2001年)にて公開され、その後発売された同名のDVD(2009年7月)にも収録されている。
[18]『論語』陽貨篇:「唯上知與下愚不移。(上知と下愚だけはどうしようも無い。)
[19]『論語』学而篇:「過則勿憚改。(間違えたら、ためらわずに改めよ。)
[20]私のパソコンは、先日から大変調子が悪く、突然ダウンしたり、起動しなくなったりしていた。原因は不明だが、FlashPlayerをアンインストールして以後は、そういうことはなくなった。現在でもFlashPlayerをインストールすると症状が復活するため、入れることはできない。要するに、私自身のパソコンが、このサイトを完全に見ることはできないのである。
[21]もっとも、モンゴル人や中国人に日本語で名乗っても仕方なかろう。向こうからすれば、野蛮な東夷が戦いの際に唱える謎の呪文、くらいにしか思われなかったことだろう。こういうことを、故事成語では「宋襄之仁」と謂う。
[22]そして、形が礼に適っていても、内容が礼に適っているとは限らないのも、世の常である。
[23]ただし、読んだ場合に安心できるとは限らない。
[24]行く先々で死人が出るという、死神のような少年が主人公だが、内外でかなりの人気を誇る。15年以上も連載していて、よくネタが続くよな、と私は思う。本家コナン・ドイルだって、途中で嫌になって、ホームズを殺してシリーズを終了しようとしたくらいなのだから。なお、以前半年だけ日本に来ていた中国人留学生がこのマンガの大ファンで、最初に憶えた日本語は「サツジンジケン」だったらしい。
[25]この曲が収録されている「シュープラー・コラール集」を始め、バッハはしばしば、何人かで合奏・合唱するための曲を、オルガン独奏用に編曲している。これを私は「一人でできるもんシリーズ」と呼んでいる。
[26]得票数171万票。これは東京選挙区で史上最多記録。もっとも、本人は「2位でもいいじゃないですか」と言っているのかもしれない。
[27]なお、「スウェルペダル」という装置を備えたオルガンであれば、こんな無理をしなくても、クレッシェンド・デクレッシェンドは可能である。足鍵盤の前方にあるペダルを踏んで、上げたり下げたりすることにより、スウェルという箱の蓋が開いたり閉まったりし、それによって、そこから出る音量を変えることができる[動画]。他にも、このような開き方をするものもある[画像]
[28]私の推理によると、答えは「1」。
[29]「らーめん山手」とも「山手ラーメン」とも称される、東大駒場キャンパスに通う全ての学生が知っているラーメン屋。餃子も炒飯もなく、ラーメン一筋15年。でも、社長は新しいもの好き。
[30]『晋書』芸術伝鳩摩羅什伝「興嘗謂羅什曰、“大師聰明超悟、天下莫二、何可使法種少嗣。”遂以伎女十人、逼令受之。爾後不住僧坊、別立解舍,諸僧多效之。什乃聚針盈鉢、引諸僧謂之曰、“若能見效食此者、乃可畜室耳。”因舉匕進針、與常食不別、諸僧愧服乃止。(姚興は鳩摩羅什に、“大師のように聡明超悟の方は天下に二人とおりません。そのような仏法の貴種の子孫を少ないままにして、どうして良いものでありましょう”と言っており、しまいには伎女十人を妾とすることを強要した。そこで、羅什は僧坊ではなく、別途官舎を建ててそこに住むようになった。すると、多くの僧がその真似をした。それに対し、羅什は針を集めて鉢に満たし、“これを食べるのも真似ができれば、室をなしても良い”と言い、普通の食事をするのと全く同じように、匙を手にとって針を食べ出した。僧たちは恥じ入って羅什に従い、真似をするのを止めた。)
[31]文化庁の国指定文化財データベースでは「唐時代の作品」としているが、誤りである(画像)。一般には六朝時代の鄭灼の撰と考えられており、特に異論も無い。
[32]『源氏物語』の登場人物。父源氏は光り輝くような容姿だったのだが、息子薫は本当に薫っているという設定。生まれつき芳香を漂わせているというのは、そういう物質を分泌している可能性が高く、ジャコウネズミ(麝香鼠)やジャコウネコ(麝香猫)ならぬ、「ジャコウヒト(麝香人、麝香人間)」と謂うべき人種である。光源氏・薫大将の親子二代で視覚・嗅覚と来るというのは、いかにも平安文学的な考え方である。しかし、薫が柏木と女三宮との密通で生まれたということ、つまり薫の実父が源氏ではないという設定とは、噛み合わない。
[33]この言い方は回りくどくて好きになれない。「新ジャンル」という言い方もあるが、これも薄っぺらくて好かない(尤も、この酒自体が薄っぺらいではないか、と言われればそれまでだが)。「ビール」「発泡酒」に較べると、だいぶもたつく言葉である。何かもっと良い呼称は無いものか。「ビール的飲料」とか「ビアもどき」とか。
[34]小中学校の音楽の授業で使われるために、「簡単」、更には「安っぽい」という印象が付けられてしまうものには、他に、ピアニカやリコーダーといったものがある。立派な楽器で、演奏者の技能が高ければ素晴らしい音色を出すことも可能なのに、どうも過小評価されがちである。これは音楽のみに留まらず、例えばランドセルも、日本では小学生用の鞄としか考えられていないが、本当は機能性・耐久性が高く、大人の使用にも供することのできる優れものだと思う。
[35]この宗教の開祖の一人は、「宗教はアヘンだ」という名言で知られるが、正確には「我々の教え以外の宗教はアヘンだ」とすべきである。これは、とある宗教が説く「十戒」の第一項目「わたしのほかに神があってはならない」に、他の宗教への不寛容を示すという点で、よく似ている。優れた頭脳の持ち主であったが、結局、「アヘン」によって形成された文化的背景の呪縛から逃れ切れなかったと謂えよう。
[36]ところで、「熱烈なファン」を中国語にすると「迷」になるらしい。当サイトのファンを形容するのには相応しい漢字である。
[37]駒場寮は2001年8月を以て廃寮されたが、廃寮反対運動がその後も廃寮の経過の不当性を検証する運動として持続。その巣窟拠点として、キャンパスの片隅にプレハブ小屋が建てられ、駒場寮に関する多くの資料が集められている。私はこれを「駒場寮遺跡」と呼んでいる。また、そこに住む学生活動家達も、前時代の遺物とも謂うべき貴重な存在である。
[38]東京大学総合図書館では『前進』(中核派)・『三里塚』(同)・『解放』(革マル派)を購入し続けている。今でも学内にこうした団体の支持者がいるためか、特に購入中止への要望が無い限り取り続けるためかは不明である。
[39]人外魔境、木に結ばれた猫がよくいるのだが(木に結んでおくのは、逃げないようにではなく、他の人間に捕まって食べられてしまわないように、所有権を主張しているのである)、どれも全て小さい。「小さい種類の猫なんですか?」と訊くと、S女史曰く、「単に栄養不足なだけ」と。そう考えると、この猫の小ささも、「カワイイ」とだけは言っていられないかもしれない。
[40]最近よく登場する人外魔境、位置としては、古の南越国の辺りにある地方都市である。「犬喰い村」とも呼ばれるが、猫も喰う。最近、鼠も喰うことが分かった。
[41]髪の長い男性で、立ち呑みカウンターの端、レジに一番近い位置がホームポジション。座席が空いていようと、大抵はここにいる。そして、かなり長時間に渡ってワインを飲み続ける。立ち呑みスタイルとベルクへの愛を感じる。
[42]『春秋繁露』王道通三篇:「古之造文者,三畫而連其中,謂之王。三畫者,天地與人也,而連其中者,通其道也。取天地與人之中以爲貫而參通之,非王者孰能當是。(古代に文字を作る際、三本の線の中に線を貫き通したものを“王”の字とした。三本の横線は天・地・人を表し、それを貫く縦線は、道を貫通させるということを示している。天地人の三つの分野に渡って道を貫通させられる者は、王者を措いて他に無い。)
[43]このために、日食は必ず朔日に起こるものとされ、晦日や2日に起こった場合、それは暦の誤りか、天変地異(失政への反応と捉えられる)と見なされた。2010年のように、元日に月食が起こる(即ち1月1日が満月)というのは、古代中国人にとっては最早論外である。「正しい暦」への早急なる改暦を勧められるであろう。
[44]尤も、「8月7日の七夕祭り」も、最早半世紀以上の歴史を持つ伝統行事になってしまっているので、今更「7月7日」に変えるのも、伝統を壊す行いかもしれない。
[45]中国語で、「マクドナルド」は「麦当?」、「ケンタッキー」は「肯德基」と云う。つまり、この写真の「麦肯基」を逆に訳するならば、「マクケンキー」となる。
[46]ここで「基本的な構造」と言っているのは、実際には通奏低音による即興が入るから、もう少し複雑な演奏になるということである。もちろん、私はそのような高度な技術は持ち合わせていないので、この録音はあくまでも「基本的な構造」のみで演奏している。もっとも、途中でミスタッチしているのを「アレンジ」と誤解して頂く分には構わない。
[47]もっとも、庵主にとっては、震災の前でも後でも5月の連休は近場しか行かない。更に具体的に言えば、府中市内。大國魂神社の例大祭、通称「くらやみ祭り」を覗きに行くのみである。
[48]「本郷もかねやすまでは江戸のうち」の句で有名な衣料品店「かねやす」のある交差点。右折禁止であり、「かねやす」の向かいには、それをスピーカーで怒鳴るための交番がある。なお、「かねやす」のはす向かいは某T大。すなわち、T大は江戸には入らないのである。
[49]『周易』繋辞伝下「上古結繩而治、後世聖人易之以書契(上古は縄を結んで治め、後世の聖人 之に易ふるに書契を以てす)」
[50]なお、「転々」という映画では、ピアノではなく、オルゴールのような音色で流れていた。オダギリジョーと小泉今日子が動物園でコビトカバを観察するシーンだったか。
[51]注[10]を参照。
[52]なお、この逸話はhornpipe氏から伺ったものである。
[53]そして、実は本業に関するページも作っているのだが、今のところは表からリンクを貼っておらず、裏サイト扱い。
[54]トイピアノを併用すると、Glocken Spielを搭載したオルガンのように金属音を鳴らすことができる。このように、ピアニカやトイピアノといった小型鍵盤楽器を椅子の上に置き、オルガンに無い音色を鳴らす手法は、一人アンサンブル氏の発明である。アンサンブル氏によるピアニカ演奏には、「私のお気に入り」「いつか王子様が」がある。
[55]名曲「名古屋はええよ! やっとかめ」の冒頭「東京は まあ あかん 汚れとる とろくさい ビヨーキが はやっとる これからの パフォーマーは 名古屋が主役!」が印象深い。
[56]「聖アン」というのは、この曲の第一主題「B - G - C - B - Ds - D - Ds」が、W.クロフト作の賛美歌「聖アン」(I.ウォッツ作「O God, our help in ages past」の歌詞を使用)の旋律と類似することから付いた呼び名である。ただし、バッハがクロフトの賛美歌を知っていたかは疑問。なお、「B - G - C - B」の音型は、「B --- B」と「G --- C」とが交差することから「十字架」と呼ばれるものである。
[57]私が小学校時代に使った教科書では、「オーストラリアの地図」として、南が上の世界地図が掲載されていた。ただし、最近聞いた話だが、あの地図はオーストラリアでもそれほど一般的に使われるものではないらしい。
[58]ただし、嘉門達夫の歌に因んで、「鼻から牛乳」と呼ぶことはある。
[59]「anonymous」とは「作者未詳」のこと。そういえば、この曲を教えてくれた後輩が、ある日、「ハッカー集団として知られるアノニマスだが、グリーンスリーブスやスカボローフェアーなどの名曲の作曲も手がけている」とつぶやいていた。これはケッサク。
[60]たまに、中世の音楽というのは、実はかなり面白かったのではないか、と思わされる。一人アンサンブル氏の弾いたランディーニ「ああ、言っておくれ」も素晴らしかった。