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 人生で、自己紹介ほど多く行うものは、他にはあまりない。それにも関わらず、自己紹介が上手い人間というのも、それほど多くない。 大抵は、名前・所属に、専門や仕事の内容、後は趣味やら出身やらを言うだけでお茶を濁す。就職活動なら、それに「自己PR」や「御社を希望した理由」を加えるくらいが、月並なところである。 趣味や出身がうまく合えば話も弾むが、そんなラッキーヒットはそうそう出るものではない。自己紹介で場を盛り上げるのは、なかなか難しいものである。
 師曰く、「そんなんじゃ面白くないよ。哲学的な自己紹介にしなきゃ」と。
 しかし、「私は、愛とは何か、というテーマについて考え続けている人間です」、「自分は、『老子』に新しい注釈を施し、キリスト教の神学体系にそれを矛盾無く取り込むことをライフワークにしています」等々といったことは、普通にあるものではない。 それに、哲学的に考え出すと、うっかり「“自己”っていうけれど、もし手足が切り落とされても“私”は“私”なんだから、じゃあ手足は“私”に入らないのかな。“私”ってどこまで“私”なのかな。紹介すべき“自己”って何なのかな」という話にもなりかねない。

 そういえば、かつて私は二十歳の頃、「我」という文章を書いた。見返してみると、なかなか哲学的に「自己」というものについて紹介しているので、ここに全文を示してみる。

  "我"字的形裡有一種古代的武器"戈"。就是説,"我"是一種武器――不論是故意還是非故意地殺傷別人的東西[4]
  "我"加上"食",就是"餓"。這是自我意識裡一直在想著的問題。
  "人"和"我"在一起是"俄"字。我和他人常是俄而相會。
  一隻小蟲的"我"是一隻"蛾"。我想,那位古人在夢裡變成的也許不是胡蝶,而是一隻蛾[5]。但這也許不對,因爲他本就是個無我的人。
(“我”という字の中には“戈”という武器がある。すなわち、“我”とは一種の武器である。故意にせよ故意でないにせよ、他人を傷つけるものである。/“我”に“食”を加えれば、“餓”である。これは自我意識の中に常に存在する問題である。/“人”と“我”が共にいると“俄”という字になる。自分と他人とは、いつも突然にして出会うものである。/一匹の虫である“我”というのは、“蛾”である。思うに、かの古人が夢にて成ったものは蝶ではなく、蛾であったのかもしれない。ただ、それも正しくないだろう。というのは、もともと彼は無我の人であるからだ。)

 弱冠の時分に書いたとは思えないほどよくできている。尤も、「自己」を「紹介」した文ではあるけれども、これを「自己紹介」として認めてくれる方は少ないだろう。やはり、きちんと、「平澤歩」について紹介せねばなるまい。





 ある日、飲み屋で知り合った人に名刺を渡すと、このように言われた。
「最近のビジネスマンは、人から名刺をもらうと必ずやることがある。それは、家に帰った後に相手の名前をググって、何をしている人なのかを調べること。」
「ググって出てこなかったら、どうするんですか?」
「そうしたら、その人の社会に於ける影響力が非常に小さい、ということだな。」

 この姿勢には多少の問題を感じるが、しかし、グーグルで検索するというのは、確かに有用な手段である。そこで、私の名前を調べてみよう[6]



 ついでに、ヤフーでも調べてみよう。


 こうして得られた情報を総合すると、「平澤歩」というのは、以下のような人物となる。

 <学術>
・2005年10月、「ブラックホール連星のvery high stateにおける降着円盤の状態の分類」という題目で学会発表。
・2006年度に『「すざく」衛星を用いた弱磁場中性子星における質量降着流の研究』という修士論文を提出。
・2007年5月、「兵器開発・生産における日米の補完的一体化」という論文を発表。
・同年7月、「ミサイル防衛 日米軍事産業の補完的一体化」を発表。
・同年11月、「ミサイル防衛の攻撃的性格と軍産複合体」を発表。
・2008年2月、『「五感で学ぶ東アジアの伝統文化」報告集』編集に参加。
・2010年7月、「修母致子説について――漢朝正統論から生まれた経典解釈」という題目で学会発表。

 <職業>
・渋谷区広尾で靴屋を経営。
・新日鉄マテリアルズの子会社日鉄コンポジット(本社・東京都中央区)の社長。

 <趣味>
・2005年6月、「ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041」他をオルガンで演奏。
・同年11月、「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」他をオルガンで演奏。
・2006年12月、第6回札幌地区中学生バドミントン団体戦大会に出場。



 如何であろうか。以上の情報は、私がどのような人間であるかを知る上で、大きな助けになるのではなかろうか。 私の力量不足により、「哲学的な」という要求を十分に満たすことはできないが、これを以て我が「自己紹介」としたい。

(2010.9.14)

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