トップ寝言>「上古結縄」


 中国の古典には、「上古の時代は縄を結んで世を治め、後世の聖人はそれに文字を替えた」とある[49]。すなわち、文字が無かった時代には、人々は縄を結ぶ行為によって記録・伝達を行ったということである。それはどのようなものだったのであろうか。

 まず、何らかの約束事を示すためには、それが固定的でなければならない。米五俵を借りたことを記したはずなのに、自分の都合に応じて縄の結び方を変えて四俵や六俵にされては、記録した意味は無いだろう。
 また、為政者の政令を発布する際には、それが同内容で大量に複製できるものでなければならない。伝達の過程で結び目の位置が変わり、その解釈に変更が生じてしまっては、その政策は正しく実現されない。

 このように考えてみると、単に縄を結んだだけでは、不十分である。結んだ後で、粘土を上から塗るなどして、固定する必要があったのではなかろうか。

 いや、発想を逆転させてみよう。縄を結んだ後で、それを転がして粘土の上に紋様を付け、更にその粘土を焼けば、結び目は保存され、改変の余地は無い。しかも、一本の縄から、いくらでも同じ紋様の焼き物を作ることができ、政令を公布する上でも好都合であろう。
 そうか、「上古結縄」とは、実は縄を結ぶだけではなく、それを型にして焼き物に紋様を付けることにより、約束事の保存と政令の複製を可能なものとしたのではないだろうか。しかも、これならば、後世の文字による筆写とは異なり、書き損じによる誤解は生じにくい。そして、縄自体はほどけば何度でも使えるのであるから、活版印刷とも謂えよう。

 ここで、あることに気が付くだろう。そう、縄文土器である。
 縄文時代では、何かの約束事を交わす度に、その証明として縄を結び、結んだ縄を用いて幾つかの土器に同じ紋様を付けて焼くことにより、互いに(或いは他の者達にも)証文を渡しておいた。そして、当時の有力者は、何かの取り決めをする度に、その内容を縄に結び、その縄で紋様を付けた土器を大量に焼いて交付することによって、それを集落中に誤解無く周知させたのであろう。
 そう、縄文土器とは、世界最古の活版印刷だったのである。

 ……という空想、声高に「縄文文明」を主張する人々に知らせてあげれば、喜んでもらえるかもしれない。
(2011.5.31)

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