トップ寝言>ビールをめぐる3つの用語


 ビールについては様々な用語があるが、その中には、原義と外れた用いられ方をしているものがいくつかある。 勿論、言葉というのは慣習であるから、原義から外れていようが何であろうが、とにかく多数の人間が使う意味が優先されるものであるし、変化は柔軟に受け入れなければならない。第一、大手四社が出しているビールは、何も考えずに飲めるのが長所なのだから、細かいことをうだうだ言っていたら、おいしく飲めるものもまずくなるというものだ。ただ、それでも、一度くらいは、それらの原義を確認しておいても良いであろう。
 例えば、「生」「ドラフト」「ラガー」の三者は、ビールを飲む者なら一度は聞いたことのある言葉であろう。 しかし、それがいったい何を指すのか、元々の意味を述べよ、と言われると、なかなか説明しにくい。 「ラガーといったら、そりゃあ、あれだよ、キリンラガービールとか、そういう、まぁ、つまり、ラガーはラガーだよ」というような歯切れの悪い回答しかできないかもしれない。 要するに、分かったつもりになって使っていて、慣れすぎてしまったために日頃注意も払わなくなっているのである。
 そこで、以下、その原義について簡潔に述べたい。これは、ビール党員として、当然なすべき務めと考えている。

○「生」
 居酒屋に行けば、ほぼ必ずメニューに載っているのが「生ビール」。 瓶ビールを注文して「まぁまぁまぁ」「おっとっと」と注ぎあうのも良いが、それには多少の頭脳を使う。 何も考えずにとにかく飲みたい時は、やはり勢いよく「生中(中生)」と言って、中ジョッキの「生ビール」をぐいっと空けるのが一番だ。 このように、現代日本語、特に居酒屋に於いて、「生ビール」と謂えば、大きな金属製の樽に入った状態で工場から入荷したビールのことで、それを店員がサーバーからグラスやジョッキに注いで出すものである。
 しかし、一方で、「黒生」「淡麗生」等と、缶ビールにも「生」という字が冠されることがある。それどころか、かなりの数の缶ビール・瓶ビールのラベル上には「生ビール」という表示がある。 一体、これはどういうことだろうか。
 結論を先に言えば、缶ビールや瓶ビールでも「生」ということは十分あり得る。何故なら、「生ビール」の定義は、加熱によって酵母を殺す処理をしていないビールのことだからである。 酵母が生きていると醗酵を継続して味を変えてしまうので、品質管理を容易にし、保存期限を長くするために、日本のほとんどのビールでは酵母を取り除く処理を行っている。 その方法として、以前は熱処理が多かったが、現在ではフィルターで濾過する技術が確立して、非熱処理が大半になっている。この非熱処理のビールが、要するに「生ビール」なのである。
 要するに、樽であろうと缶であろうと瓶であろうと、熱処理していないビールが「生ビール」である。 そうすると、居酒屋やバーで、キリンのブラウマイスターのように熱処理したビールを「生ビール」として売っていることがあるが、それは実は本来の意味での「生ビール」ではない。 もっとも、原義での「生ビール」でなくても、とにかく現在の日本語で、居酒屋の注文の際に「生」と言えば、樽詰ビールのことなのだから、ここで原義を持ち出してあれこれ言っても仕方が無い。 むしろ、「生ビール」と注文した時に、「非熱処理だからこれも生ビールです」と言って瓶ビールや缶ビールを持って来られる方が、余程困る。

○「ドラフト」
 上述のように、樽詰ビールは、現在の居酒屋では「生ビール」として通用しているが、本来の呼称は「ドラフトビール(draught beer)」である。
 海外のビールを樽詰の状態で入荷しているような店の中には、「生ビール」という言葉を使わず、「ドラフトビール」という言い方にこだわっているところも多い。
 ただ、居酒屋の中で、「ドラフトの中ジョッキ一杯」等という注文の仕方は、何となくスノッブな響きが鼻につくし、第一、店員に通じない可能性も高い。実際、「ドラフトビール」にこだわる店でも、メニューの表記やホームページでの宣伝で「DRAGHT BEER MENU」「ドラフトビールが充実しています」と書くぐらいで、店内で「ドラフト」なる言葉が行き交っているわけではない。それに、そういう店ではドラフトビールが何種類も置かれているのだから、注文の際には「ドラフトビール」と言うのではなく、「イェーバー」「ヒューガルデン」等とブランド名を言うことになる。そして、意図しているのかしていないのか、ドラフトビールと瓶ビールとで銘柄が重複しないようになっているので、「瓶とドラフトのどちらですか」等という応対もしないで済む。
 要するに、この言葉については、意味だけ知っておけば良いと思う。現時点の日本の居酒屋では、あまり使い途の無い言葉である。
 そういえば、「ドラフトワン」という第三のビール[33]があるが、缶ビールだから「ドラフト」の原義からは外れる。 尤も、これは日本人が悪いわけではなく、かの高名なる「ギネス」も、缶ビールは「Guiness Draught」という名前になっている。窒素ガスを詰め込んだウィジェットというボールを缶内に入れておくことで、まるで樽からサーブしたようなきめこまやかな泡を実現した、ということなのだろうが、要するに厳密な意味での「Draught」ではない。ただ、缶ビールでも何とかドラフトのように仕上げるための、その創意工夫は素晴らしいと思う。

○「ラガー」
 「キリンラガービール」やら「サッポロクラシックラガー」やら、「ラガー」を名乗るビールは多い。しかし、この「ラガー」という言葉の意味を明確に説明したものは少ない。人によっては「生ビールの反対で、熱処理したものがラガーだよ」と言うかもしれない。確かに、以前のキリンラガーは熱処理していたし、キリンやサッポロのクラシックラガーは今でも熱処理をしている。しかし、実際には、熱処理の有無は関係ない。
 そもそも、「ラガー」とは「lagern(貯蔵する)」から派生した言葉で、二次醗酵に長期間を要することに由来する名称である。上面醗酵(勢いよく炭酸ガスを出すために酵母が舞い上がって上面に層をなす醗酵過程)による「エール」が数週間で完成するのに対し、下面醗酵(静かに醗酵し、終わりに近づくに連れて酵母が下に沈んで行く醗酵過程)による「ラガー」は数ヶ月の低温貯蔵が必要とされる。要するに、醗酵の速度が遅い酵母(ラガー酵母)を用いて作るのが、「ラガービール」なのである。
 ラガー酵母は寒さには強いが、他の菌よりも繁殖スピードが遅いため、品質を保つためには低温下で長期間かけて醗酵させる必要があったのだが、最近では技術の進歩で急速に醗酵を進める製法が確立しており、「lagern(貯蔵する)」必要は少なくなっている。それでも、ラガー酵母を使っていれば、やはり「ラガービール」と呼ぶべきであろう。
 この原義に照らせば、日本の大手ビール会社が製造しているものは、その大半がラガービールである。「クラシックラガー」であろうと「一番搾り」であろうと、瓶であろうと樽であろうと、いずれもラガーである。
 ところで余談だが、ビールの製造過程に、「搾り」という作業は存在しない。「搾り」という工程があるのは日本酒で、醪(もろみ)から酒粕を取り除くために布で搾るという作業を指す。 要するに、「一番搾り」というビールの名称は、日本酒の造り方から採って来た、「二番煎じ」なのである。  
(2010.10.14)

上に返る