トップ音楽
  J.S.バッハ:前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552よりフーガ「聖アン」
    Johann Sebastian Bach: Praludium und Fuge Es-Dur, BWV 552 ? Fuge "St. Anna"[56]


 よく耳にする言葉に「漠然とした不安」というものがある。特に根拠もなく、原因を言い表すこともできないのに、不安を感じ続ける状態とでも言えようか。そして、この「漠然とした不安」が長く続くと、体調を崩したり仕事がうまくいかなくなったりして、時に「明瞭な不安」までをも引き起こす。
 しかし、「漠然とした不安」があるならば、「漠然とした安心」というものがあっても良いのではないだろうか。何も明確な根拠が無くても、自分が生きていくことについて楽観的である状態、そんな心の持ちようがあっても良いのではないかと、私は思う。何か努力しなければならない時、「漠然とした不安」を持っている人よりも、「漠然とした安心」を持っている人の方が頑張れるのではないだろうか。それに、「漠然とした安心」を抱きながら生き続ければ、もしかしたら何かの間違いで、「明瞭な安心」になってくれるかもしれないのだから。

 音楽は、口から入れても食えない。何の栄養にもならない。しかし、心の持ちようを変えるという作用がある。もちろん、心の持ちようを変えても、周囲の客観的状況は何も変わらない。音楽を聴くだけで貧乏が金持ちになったり、病人が健康体になったりするわけではない。それでも、心の持ちようというのは、何も具体的根拠を伴わなくても、とても大切なものだ。金持ちで健康であっても、始終不安な気持ちでいたら、それはやはり不幸なことである。貧乏で病人であっても、楽観的な気持ちでいられれば、(少しバカみたいだが)悲惨さがやわらぐというものだろう。
 音楽の意義は、まさにここにあるのではなかろうか。アマチュアは自分自身の心のために、プロフェッショナルは他人の心のために、音楽を奏でるのである。悲しい出来事があった時に音楽活動を「自粛」すべきではなく、むしろ気分が停滞している時こそ音楽が必要とされるはずである。

 後世に大作曲家として称えられるバッハも、その人生は決して順調なものではなかった。上司や部下との人間関係・家計のやりくり・家族との相次ぐ死別等々。この曲を作るに至るまでの間に、あるいはこの曲を作っている最中も、そしてこの曲が完成して以後も、バッハは様々な問題に悩まされ続けた。時に怒り、時に悲しみ、それでも彼の生き様は終始前向きで、絶望の匂いを感じさせない。
 この曲には、そのようなバッハの前向きな生き様がこめられているように思う。障壁を踏み越える力強さ、上を向いて進む明るさ、様々なものを飲み込んで拡大して行く壮大さ。わずか6分ほどの長さであるが、弾く者や聴く者に、大きな活力を与えてくれる。こういった素晴らしい曲を、今後も弾いて行きたいものである。
(2011.12.28)

上に返る