トップ音楽
  E.A.L.サティ:ジムノペディ第1番 「ゆっくりと、そして痛ましく」
    Eric Alfred Leslie Satie: Trois Gymnopedies - Premiere Gymnopedie (Lent et douloureux)


 ここでは、そもそもパイプオルガンが何を動力としているかについて紹介したい。
 上の図は、オルガンについて学ぼうとしたらこれを必ず目にする、と言っても良いほど有名なもので、オルガンの機構を、断面で示したものである。図中には、演奏台で鍵盤を弾いている者の他に、もう1人いる。何やら棒を持っているが、これを使ってふいごを脹らませ、それによってパイプに空気を送りこんでいるのである。つまり、パイプオルガンは、演奏者の力ではなく、後ろで空気を送り続ける人のおかげで鳴っていたのだ。如何に手鍵盤・足鍵盤を自在に操る名手(「名手足」?)と雖も、後ろの人がいなければ、手も足も出ない。
 では、最近のパイプオルガンでも、実は後ろに隠れている人が、せっせとふいごを操っているのだろうか。勿論、そんなものは今時ほとんどなく、電気で動くモーターがふいごに空気を送りこむのが普通である。故に、電子楽器とまでは行かないが、電力楽器とは謂えるかもしれない。
 このように、現在のパイプオルガンの動力は、突き詰めればモーターである。故に、その電源を切れば、ふいごに溜まった空気は段々少なくなり、しばらくすれば全く音は出なくなる。これを利用して、電源スイッチの操作による音量の増減を試みたのが、この演奏である。弾いている最中に電源を切れば、パイプを通る空気の勢いが失われ、音量は徐々に小さく、音程も徐々に下がる。そこで再び電源を入れれば、圧が上がり、音量・音程が急速に回復する。こうして、クレッシェンド・デクレッシェンドという演奏効果を無理矢理実現したのである(もっとも、この操作がモーターに負担をかけている可能性もあるので、その後はしていない)[27]
 ところで、このジムノペディ第1番はよく耳にする曲で、田園の中を流れる川を小舟で下って行くような、のどかなような気だるいような、そんな不思議な雰囲気が魅力である。しかし、実は、どうも古代ギリシアの裸の踊りから着想を得たらしい。さすがサティ、「ぶよぶよした犬のための前奏曲」やら「干からびたナマコの胎児」やらを命名したそのセンスは、ここにも活かされている。中国では「裸体歌舞」と訳されて流通しているが、単に「ジムノペディ」とするよりもこっちの方がサティの意図をよく表しているのかもしれない。

(2010.10.4)
上に返る